プロフィール


名前 【愛夢OK(あいむOK)】
年齢 【黄忠より年下】
勢力 【ずっと劉備軍】
ギルド『まったり村』村長です。
宝物 【奥さん(愛美奥参)】
奥さんと一緒に、のんびり、無双 Onlineを楽しんでいます

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もしあの軍師が・・・惜しいかな郭嘉奉孝の巻

三国志談義です。
(^^)v

三国志ファンが一度は思う事があります。
それは、「もし、あの武将が・・・」。

今回は、もしあの軍師が・・・というのを、考えてみたいと思います。

魏、呉、蜀、それぞれの国で、「もしあの軍師が早死にしなかったら…」と思う軍師がいます。


魏の国では、やっぱりこの人!
「郭嘉奉孝(かくかほうこう)」

魏の曹操配下の軍師と言えば、郭嘉、荀イク、荀攸、程イク、賈ク、司馬懿など、有能な人物が多いです。
その中でも、郭嘉は、曹操からの信頼が厚く、「郭嘉だけが、私の心を理解している」とまで言わしめた人物でした。


郭嘉は、状況を分析する事に優れていて、的確に敵軍の動きを予測した軍師でした。

袁紹が没した後、曹操軍が一気に袁紹の息子達を滅ぼそうと勢いづいた時!
郭嘉は、ここで攻めれば袁紹の息子達が結束するだけ、しかし、攻めなければ、勝手に後継者争いが起こると予測しました。
曹操は、郭嘉の言を入れ、兵を引きます。
すると、その後、郭嘉の予測通り、袁紹の息子達は後継者争いを起こし、自滅してしまいました。

河北一帯の完全制圧に乗り出すさい、荊州の劉表と劉備が、曹操の本拠を攻めるのではないかと危惧された時!
郭嘉は、劉表の人となりと、劉表と劉備の関係を推し量り、劉備が動く事はないと予測しました。
実際に、劉備は動かず、曹操軍は河北一帯を平定したのでした。

しかし、遠征からの帰り、郭嘉は病に倒れ、38歳の若さで、この世を去ります。
郭嘉の死にさいし、曹操は、「哀しいかな奉孝、痛ましいかな奉孝、惜しいかな奉孝」と言ったそうです。

そして、後の「赤壁の戦い」で曹操が大敗を喫した時は、「郭嘉が生きていれば、このような敗北はなかっただろう」とも言ったそうです。


本当に、もしも、赤壁の戦いの時に、郭嘉が生きていたら!
三国志の歴史は大きく変わっていたかも知れません。

その大きなポイントは、疫病です。
赤壁の戦いで、曹操軍は大陸を南下して戦う事になります。
南の風土になれない曹操軍は、疫病に悩まされて多くの兵を失ったそうです。

実は、郭嘉は、生前に、「南方制圧のさいは、疫病が多く発生して、自分は生きて帰ってこれないだろう」と言っていたそうです。

すでに疫病を予測していた郭嘉が、赤壁の戦いの時に生きていたなら、もしかしたら、疫病の被害を少なくする対策を講じていたかもしれませんね。
その結果、赤壁の戦いの勝敗が変わって!
その後の、三国志の歴史は、現在と違っていた可能性も・・・。
そして、三国を統一するのは、司馬炎(司馬懿の孫)ではなく、曹操だったかもしれません。
(@_@)


三国志の「もしも」を考えると、とても楽しいです。
軍師編だけでも、色々と想像ができます。

呉の周瑜が、蜀のホウ統が・・・早死にしなければ・・・。
徐庶が劉備軍にとどまっていたら・・・。

色々な事を想いながら、無双オンラインを楽しみたいと思います。
(^^)v

「事を謀るは人にあり、事を成すは天にあり」無双ライフを楽しくする秘訣?

今日は三国志談議です。
(^^)v

「事を謀るは人にあり、事を成すは天にあり」

この言葉は、先日公開した、小説三国志夢想伝の中でも使った言葉ですが、元は、三国志演義の中で、我が劉備軍の軍師、諸葛亮孔明が言う言葉です。

諸葛亮の策が成功して、敵将司馬懿仲達と魏軍は、火計の中で全滅するところでした。
ですが、突然の豪雨が火を消し去り、諸葛亮の策は失敗します。
その後の言葉が!
「事を謀るは人にあり、事を成すは天にあり」


この言葉は、とても参考になる言葉だと思います。
私達の人生にも、あてはまるような気がします。

人生や人間関係というのは、一生懸命頑張っているつもりでも、なかなか自分の思い通りにはいかないものです。

それは、違う考え、違う価値観の人間達が集まっているのが人間社会であり、自然現象など、人間の行動以外のものも含めて、様々な現象が重なって成り立っているのが、人生だからだと思います。

では、そのような人生をどうやって楽しめばいいのか?
そんな時に、今回の言葉が教訓になるような気がします。

「事を謀るは人にあり、事を成すは天にあり」

うまくいかなかったとしても、それが今回の結果なんです。
色々な要素が混ざり合って、結果が出ます。
自分の力だけで、どうにかなる事ばかりではありません。
結果ばかりを気にしないで、よい結果にたどりつくまでの過程を楽しみましょう!
という事だと思います。
(^^)v


そして、これは、無双オンラインのプレイでも、同様だと思います。

ゲームとは言え、戦うゲームですから、そこには勝ち負けが存在します。
オンラインゲームなので、人間同士の交流が存在しますが、みんな違う考え、違う価値観の人間同士なので、みんなが自分の思い通りに動いてくれるはずがありません。

どっちが勝つかは、あくまでも結果です。
それは、「事を成すは天にあり」という事だと思います。

その結果にたどり着くまでに、どれだけ楽しかったか!
それが、ゲームの楽しさだと思います。
それが、「事を謀るは人にあり」という事だと思います。

たとえ負けたとしても、その過程が楽しかったら、また戦いたくなります。
たとえ勝ったとしても、その過程が楽しくなかったら、もう戦いたくなくなります。

勝利までの過程を楽しんでいて、結果的に勝つ事も出来たら、それは、さらに素敵な事ですね。
(^^)v


「事を謀るは人にあり、事を成すは天にあり」

結果を気にしすぎないで、よい結果(勝利)を得るための過程を楽しみましょう!
それが、人生、そして、無双ライフを、楽しくする秘訣かもしれませんね。
(^^)v

「事を謀るは人にあり、事を成すは天にあり」は!
まったり村村長、「愛夢OKパーティー」のキャッチフレーズにしましょう。
「風林火山」みたいに、一文字ずつ抜き出して「人謀天成」の旗印でも作りましょうか。
「人は謀り天は成す」ですかね。
(笑)

ちなみに、日本で有名な「風林火山」という言葉は、中国兵法の一つ「孫子の兵法」の中の言葉です。
曹操や諸葛亮も、孫子の兵法を学んでいます。
(^^)


それでは、「人謀天成」の旗印のもと、対決でも行きましょうか!
10回撤退してもいいですよ~!
自分なりのプレイを楽しんで下さいね~!
って感じですかね。
(^^)v

でも、私は、あまり、対PCプレイをする事はありませんでした~。
あれま~!
(@_@) (笑)

では皆さん!
無双オンラインを、楽しんで下さいね~!
(^^)/

曹操の墓発見の巻 諸葛亮孔明の63代目子孫は美人モデルの巻

先日、春香さんから、面白いニュースを教えてもらいました。
それは、曹操孟徳の墓が発見されたというニュースです。

曹操孟徳は、言わずと知れた、三国志の魏の君主!
ネットでニュース記事を見た時は、少し興奮してしまいました。

次の日には、曹操の墓の写真も公開されていました。
私が見たネットニュースでは、墓関係の写真が12枚公開されていたのですが、これらが、「約2000年前の三国時代の中に存在したものなのか」と思うと、不思議な感覚に包まれてしまいました。

三国志に興味がある皆さんは、ぜひ、見てほしいと思います。
ネットで、検索すれば、すぐ出てくると思いますよ。
(^_^)v


曹操の墓の記事を見ていたら、関連記事の中に、妙な文書が。

『諸葛孔明63代子孫は美女モデル』

面白そうだったので、見てみたら、本当に、諸葛亮孔明の子孫は、モデルでした。
(笑)

諸葛梓岐さんというそうです。
家には、祠があって、族譜(家系図)もあるそうです。

曹操の墓といい、諸葛亮孔明の子孫といい、改めて、三国志の人物を実感させられた瞬間でした。

そういえば、諸葛亮孔明の子孫が暮らす『諸葛八卦村』もありましたね。

さて、今日は、ゲームにインしたら、回廊に行って、蜀軍の無双武将達に挨拶でもしに行きましょうか!
(^_^)/

関羽と曹操と赤兎馬そして劉備の巻

三国志演義の中で、名馬と言えば、まずは「赤兎馬」の名があがると思います。
三国志正史の中にも、呂布が「赤兎」という馬に乗っていたという記述があるそうです。
「人中の呂布! 馬中の赤兎!」というような記述もあるそうで、呂布と同様、凄い馬だったようですね。

三国志演義の中に、赤兎馬が登場する名場面は多いですが、中でも、一番好きな場面は、曹操が関羽に赤兎馬を贈った時のお話です。

三国志演義入門編の皆さんのために、この場面を語ってしまいましょう。
(^_^)v

呂布が乗っていた赤兎馬は、曹操が呂布を滅ぼした後、曹操のものになります。

その後、曹操は劉備との戦いに勝利!
その時、関羽は、劉備の奥方を守るために、しかたなく、一時的に曹操に下ります。
しかし、もし劉備が生きていて、その所在が分かったら、劉備の元に帰るという条件つきです。

さすがは、忠義の武将、関羽雲長!
主君の奥さんを守るため、主君への義を貫くため!
うちの奥さんも、「うんちゃん素敵~!」と絶賛中です。
(笑)

この時、関羽に、「降伏しちゃいなよ~」と説得するのが、張遼です。
そう、「山田~」の張遼です。
なんの事か分からない人は、「張遼 山田 由来」で検索してみて下さい。
きっと、少し、張遼が好きになりますよ。
(笑)

さて、話は戻って、曹操に下った関羽。
人材コレクターの曹操は、関羽を配下にしたくてたまりません。
連日、関羽にプレゼントなどの「おもてなし攻撃」。
しかし、関羽は、日々、劉備の奥方を守る毎日で、なんの効き目もなし・・・。

「そんな関羽ちゃんがたまらなく好きさ~」と、曹操が言ったとか言わないとか・・・。
(笑)

なかなか関羽が振り向いてくれないので、曹操は秘密兵器を繰り出します。
それが、赤兎馬です!

「この赤兎馬ってば、凄いんだよ~」
と、赤兎馬を関羽に贈ると!
何と、今まで、何をプレゼントしても喜ばなかった関羽が、大喜びするではありませんか。
その姿を見て、曹操も大喜びです。

これで、関羽を我が配下に出来るかも~!
そしたら~、赤兎馬と絶影で、一緒にデートさっ!
と、曹操が喜んだのもつかの間・・・。

次の関羽の言葉で、曹操は凍りつきます。

「おお~、この赤兎馬があれば、殿(劉備)の所在が分かった時に、一時でも早く駆けつける事が出来る~!」

はい、曹操凍りました~。
無双ファンの皆さんは、極氷玉で、曹操が凍りついている絵を想像して下さい。
(笑)

関羽が、赤兎馬をもらって喜んだのは、劉備の元に少しでも早く帰れるからでした。
やっぱり、忠義の武将、関羽雲長ですね。
(^_^)v

後日、関羽は、赤兎馬に乗り、奥方を守りながら、劉備の元に帰ります。
そして、曹操も、それを許します。
「関羽千里行」ですね。
これも、名場面です。

劉備の元に帰った関羽も凄いですが、それを許した曹操も凄いですね。
関羽も曹操も、とても魅力的です。
性格や生き方は全然違いますが、それぞれ、人間としても武将としても、魅力があると思います。
(#^.^#)

ちなみに、もし、私が、曹操から赤兎馬をもらったら、「これで、奥さんのところに、ぶっ飛んで帰れる!」と言いたいですね。
でも、曹操は、私には、赤兎馬をくれないでしょうけどね。
(笑)

赤兎馬をくれないなら、パンダに乗って帰りますっ!
いざ、奥さんの元へ~!
のろのろ・・・。
・・・パンダ、遅すぎ~。
しかも、途中で寝るし・・・
(笑)

天下三分の計に見る、武人気質と軍師気質の巻

三国志演義の名場面の一つに、天下三分の計があります。
本来は、「隆中策」というそうです。

この天下三分の計は、劉備が荊州の劉表のもとに身を寄せていた時に、劉備軍の軍師になった諸葛亮が、天下を統一する方法として、劉備に献策したものです。

当時の劉備は、自分の領地も持たず、劉表のもとに居候の身です。
対して、曹操は、北一帯を制圧し、すさまじい勢いで、南の制圧にのりだしました。
また、孫権は、親子三代に渡り、南の地をしっかりと治めています。

この状況を冷静に考えて、諸葛亮が、天下三分の計を献策します。

「北の曹操、南の孫権、どちらもすぐに打ち破れるものではありません。まずは、曹操にも孫権にも属さない、荊州と益州に地盤を築き、劉備、曹操、孫権の三国で天下を三分し、力の均衡を図るが先。その後、孫権と同盟を結び、それから事を起こすのがよいでしょう」
(本当は、もう少し具体的な内容です)

強大な曹操軍には勝てないと言う事をしっかりと理解して、現在の劉備軍の現状を考えた献策です。
実に、冷静で、的確な判断ですね。


現在でもさまざまな人が、三国志の出来事を参考にしています。
実際に、ビジネスの世界でも、この天下三分の計と似たような事は、時々おこなわれてます。
(諸葛亮の献策は、天下統一のための策であり、現代のものは、企業同士のバランスを保つための戦略です)


三国志演義は、大雑把な見方をみると、前半は強い武将達の戦いで、後半は軍師達の戦略戦という流れだと思います。

この諸葛亮の天下三分の計が、大きな意味で、軍師同士の戦略戦の幕開けと言ってもいいと思います。


「勝てないと分かっていても戦う」という、武人的な考え方。
「勝てないなら真っ向勝負は避けましょう」という、軍師的な考え方。
どちらも、魅力的ですね。

現代社会でも、武人的な考え方と、軍師的な考え方の、両方が必要だと思います。

無双オンラインの戦闘でも、同様の事が言えるのかも知れないですね。
勝てないけど、頑張って戦う楽しさ!
勝てないなら、引き分け勝ちなどに徹する面白さ!

無双オンラインの中でも、人生でも、武人的に生きるのか、軍師的に生きるのか、それは、それぞれの自由ですね。
(^_^)v


ちなみに、諸葛亮が、天下三分の計を献策する以前に、呉の国の周瑜や魯粛が「天下二分の計」的な事を、献策しています。
やはり、名軍師と言われる人物は、物事を冷静に判断するようです。
(#^.^#)

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